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誰も住んでいない場所

SUZUKI SATO

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独自ドメインは表札のようなものだ、とよく言われる。うまい喩えだと思う。玄関先に自分の名を出す。訪ねてきた人はまずそれを見る。名乗りであり、目印であり、そこに誰かが暮らしている証でもある。

ただ、表札という言葉には、家が動かないという前提がひそんでいる気がする。表札は建物に付属する。柱があって、門があって、その顔として掛かる。掛ける先が先にあることが、当たり前になっている。

世の中には、その前提が当たり前でない人がそれなりにいる。二、三年ごとに辞令で街を移る人。学校のために出て、そのまま戻らなかった人。更新のたびに条件を見比べて、少しずつ別の区へずれていく人。船に乗って、家にいる日のほうが少ない人。そういう人たちにとって、表札は外して持ち歩くものだ。次の玄関でまた掛ける。名前は同じでも、掛かる場所が毎回ちがう。

商人の屋号は、その点うまくできている。店が焼けても、移っても、屋号は継がれる。看板は建物のもので、屋号は主人のものだ。外航船の船尾に書かれた船籍港もそうで、船は世界中を回り、どこにも留まらないのに、書類の上ではいつもその港の船である。一度も入ったことのない港の名を尻に書いて航海している船が、たぶん今もどこかにいる。

そのあたりを行き来していて、自分にはやはり本籍が近いように思えてきた。

本籍というのは不思議な制度で、誰も住んでいない場所でかまわない。建物がもう建っていなくてもいい。届け出なければ一生動かない。住民票は追いかけてきて、そのたびに住所欄の文字が書き換わるけれど、本籍のほうは放っておけばそのままだ。書類を書くたびに、二つの欄がちがう地名で埋まっていく。片方は現在地で、片方はそうでない何かだ。

そうでない何か、をうまく言い当てる言葉を私は持っていない。故郷とも少しちがう。思い出があるとは限らないし、行ったことがなくても成立してしまう。ただ、そこが自分の地番だと決められている一点だけがある。

もっとも、ドメインが永続するわけではない。年に一度金を払い、払わなければ他人のものになる。土地を買ったわけではまったくなく、その意味では借りている部屋と大差ない。本籍と呼ぶには軽すぎるかもしれない。

それでも揺るぎない感じがするのは、たぶん続く長さのせいではなく、誰が決めるかのせいだ。街が変わるとき、決めるのはたいてい自分ではない。次にどこで暮らすかを、事後的に知らされる側にまわることがある。更新ボタンだけは、誰にも相談せずに自分で押す。押し続ける限りそこは在り、やめれば消える。畳み方まで自分の手にある地番を、生まれてはじめて一つ持った、ということなのだと思う。

まだ何も建てていない。更地のままだ。それを不安に思わないのは、何を建てるかを他人が決めないからだろう。

表札という喩えが間違っているとは思わない。人によっては、そちらのほうがずっと正しいはずだ。ただ私は、あの登録画面で確定を押したとき、表札を掛けたというより、届を出したような気がしていた。